グロテスク 桐野夏生

休みを利用して、久しぶりに長めの小説を読んだ。いわゆる東電OL殺人事件をもとにしているのだが、そういう週刊誌的な次元を超えた深い内容。いかにも小説的な前半から圧巻の後半へと、複数の登場人物をもちいてヒトの内的心理が立体的に描かれる。それも暗部を中心とした物語だ。


暗部と書いたけれど、核となっているのは自意識で、つまり全ての人が持っている感情。そして、他者との関係。読む人はみな、この小説の中に自分の影をみつけ対峙するはめになると思う。中身の暗さと相まって二重につらい小説なのだが、前半と終章が小説的様式を備えていること、全体としても物語りの展開のうまさがあることで「おもしろく」読み通せてしまうのもこの小説のすごさだ。

グロテスク 上 (文春文庫)グロテスク 下 (文春文庫)

プリオン説はほんとうか? 福岡伸一

前半はプルシナーが中心となって解明した、プリオン蛋白質BSEなど一連の病気の要因であるとする研究の紹介。後半は、一転プルシナーのプリオン蛋白質単独原因説に疑問をはさみ、自説を展開するという本。


大変面白く書けているのだが、それ以上に疑問が多い本。まず、第一に問題なのが本書で使用しているデータの引用文献リストがないこと。福岡の書いていることを検証するのに苦労する。後半では福岡がリセプター仮説を展開するのだが、これは古くからあるウイルス説の発展型。しかし、ウイルス説も明確に引用されていない。一般読者の中にはウイルス説が福岡によるものと考える人もいるのではなかろうか。


本書において福岡がプルシナー説に疑問を呈するなかで重要になっているのが、プルシナーの論文の図を再プロットしたデータだ。ところが困ったことに、プルシナーのグラフと再プロットしたグラフを見比べると、データの数や値が対応していないのだ(p. 156-157)。間違いなのかなんなのか分からないけれど(再プロットはローワーによるようなのだが、オリジナルの論文を見つけらなかった。)、違いには悪意すら感じる部分もある。また、Silveira et al. 2005 Natureの論文に関して、精製度合いを論じている部分がある(p. 214)。福岡は、この論文では精製度合いが90%なので少なくとも10%異物が含まれると論じているのだが、論文には>90%と書いてあって、=90%とは書いていない。タンパク精製において>90%と=90%の意味は良く分かっているはずだから、この点でも悪意を感じてしまうのだ。99%の純度が求められるとも書いているけれど、タンパク精製において>99% purityなどと書いてある論文は見たことがない。


プリオン蛋白質プリオン病の要因の一つであることは間違いない。しかし、プリオン病は未だに謎が多いのは間違いないことで、ウイルスが関与する可能性も完全に否定された訳ではない。最近はsiRNAなどの発見を受けて、小さいRNAが関与しているのではないかと想像する人もいる。そういった状況をもっと客観的に伝えてほしかった。注意深く読めば面白い読み物ではある。

京都のお囃子

kagetsu2008-01-26

Naxos Music Libraryでこんなものを見つけた。


LYRCD7137 日本の伝統音楽 能楽(京都能楽会)
JAPAN Kyoto Nohgaku Kai: Japanese Noh Music
http://ml.naxos.jp/?a=LYRCD7137


懐かしい。The Kyoto Nohgaku Kaiとあるだけで名前は出ていないが、学生時分聞いていたあの人たちのお囃子だ。音色や掛声からして、あの頃よりも若い時分に録音されたものだろうけれど、聴いていて本当に懐かしい。今やほとんどの能楽堂は西洋風のコンサートホール的場所になってしまったけれど、この演奏を聴いているだけで、能楽師の家の中にある舞台でお能を見ている、あの感覚が思い出されてくる。


能のような伝統芸能でも東京による悪い意味での標準化が進んでしまっている。今はどうか知らないけれど、京都には独自の芸風が生き残っていた。お囃子も然りで、この演奏を聴いていただければ東京にはないものを聴き取っていただけるだろう。


録音の仕方、というかお囃子の配置がむちゃくちゃで、そこが残念。

見てわかるDNAのしくみ(工藤 光子, 中村 桂子)

JT生命誌研究館は基礎研究の現場と一般の人をつなごうとすばらしい努力を重ねてきた。その成果の一つがこの三枚組DVDだ。今の日本はすぐに社会に還元される研究を求める。平たくいえば、金儲けになる研究だ。だがそれで本当に日本の科学は豊かになるのだろうか?真の意味での基礎研究を行っている研究者にとって、生命誌研究所がやっていることはとても重要だ。


このDVDを見た一般の方々は、こんなこと研究して何の役に立つの?なんて疑問は持たないだろう。細胞の中で繰り広げられる染色体DNAの複製や分配、遺伝子からのタンパク質合成の様子がこんなにダイナミックで、複雑で、精妙にできてるなんてことを目で見ることができてワクワクしてもらえるんじゃなかろうか。


専門家が見ても発見があるという、うたい文句は本当だ。この映像を作ったときにパブリッシュされていたデータは極力反映しているようだし、論文ではデフォルメされがちな分子の形やスケールなどにも注意を払ってある。その上で分子達をCGで動かして、動かすからこそ分かる制作者達の考察も入れてある。一般の方、学生、研究者、皆一見の価値はあると思う。


ただ、映像の強さゆえ一般の方はこれを見てああそうかと全て鵜呑みにする危険性をはらんでいる。それから、限界を感じるのは、いくら動かしたところで所詮モデルなのだということ。このDVDに出ていること、これらの現象を直接観察すべを分子生物学はまだ持っていないのだ。


不満を二つ書いておく。まず、本の大きさに合わせて小さなDVDを採用していること。通常の大きさのDVD一枚におさめてほしかった。だいたい、スロットローディングのMacでは再生できないではないか。それから、メニューにおいて全てを再生するボタンを押しても全ては再生されない。一回目に見たときは気づかなかった。あ、もう一つ。ダイジェストとか制作裏話とか、そんなもの入らないから文章は文章でもっとキチンと解説や参考文献を書くべきだ。映像で出ていることをもっと詳しく知りたい人は路頭に迷うだろう。


DVD&図解 見てわかるDNAのしくみ (ブルーバックス)

DVD&図解 見てわかるDNAのしくみ (ブルーバックス)

眠れない一族 ダニエル・T・マックス

書店で手に取ったとき、副題の「食人の痕跡と殺人タンパクの謎」をみてプリオンの話だと分かった。でもタイトル、そして装丁に使われているロンギによるヴェネツィアの絵が結びつかなかった。


致死性家族性不眠症に苦しむ一族からはじまり、クールー病スクレイピー狂牛病、CJDなどの病気の歴史とその謎が解き明かされていく様を活写するドキュメンタリー。全く別の場所、全く別の動物、全く異なるかかり方をするいくつかの病気が、推理小説を解くかのようにプリオンで説明されていく様を追体験できる。その過程では二人の科学者、それも得意なキャラクターの二人が中心的な役割を果たしており、プリオン病の解析も科学的記述にとどまらない生き生きとした物語。また、著者自身も治療法の見つかっていない別の病気を患っており、冷静な筆致の向こう側からある種の諦念が伝わってくる所がまた独特の読後感を与える。各章に引用文献や注釈もついている。


非常に面白い本で、夢中で読んでしまった。

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎